こんなに違う 鳴き声や音の表現(夫と私の場合)

ある日、夫と私は旅に出た。

草原と森に囲まれた田舎の無人駅で、我々はローカル列車を待っていた。

そこへ上りの準急列車が緑の風を切って我々の前を通り過ぎて行った。

「あそこを見てごらん」と夫がレールを指さした。「隙間が空いているのが見える? あれは寒暖の伸縮に合うように空けてあるんだけど、そこを列車が通るときに『ダタン・ダタン』って音がするんだよ」 

「へぇ~、ダタン・ダタンかぁ」

私はレールの隙間の話しよりも、彼の列車の擬音に興味が走った。

「日本人は『ガタン・ガタン』とか『ガタン・ゴトン』っていうけどね」 

暫くすると今度は下りの準急列車が通過して行く。私はできるだけ雑念を振り払って音だけに集中してみた。

「ふ~む。言われてみればガタン・ゴトンよりもダタン・ダタンの方が近いような気もしてくるね W」

そうこうしているうちに我々が乗るローカル列車がホームに入ってきた。座席は選り取り見取り。殆ど空席だから貸し切りみたいなもんだ。我々は4人掛けの座席の窓側に向かい合って腰を下ろした。

草原では数羽のカラスが井戸端会議を開いている。

すかさず夫に訊いてみた。

「それじゃカラスはあなたの耳にはどう聞こえるの?」 

「ラーラーラー」 

「日本ではカーカーカーだよ」

「日本のカラスの方が威勢がいいね」と彼は笑う。

 

鳥と言えば、そうそう、思い出した。フィーフィー・バード。

夫が生まれて初めてセミの鳴き声を聞いたのは1982年。二人で夏の京都をそぞろ歩きしているときだった。彼の耳には「フィーフィーフィー」と鳴いているように聞こえたらしい。樹上から聞こえてきたので、てっきり鳥の一種だと思ったという。

それ以来、セミを意味する二人の合言葉は「フィーフィー・バード」ということになった。

夫が生まれ育ったスイスの田舎にも、現在我々が住んでいるチューリヒの村にも(まだ)セミはいない。しかし、温暖化の影響で環境が変わり、今ごろはここの土中にもセミが眠っているような気がする。きっと地上の夢でもみているのだろう。もしそうなら‥‥、悪夢に魘(うな)されてないことを私は祈る。

ゆっくり走るローカル列車の窓からは、これまたゆっくりと草原の小道を行く、デップリしたおじさんと主人に合わせたような体型の白茶の犬が見えた。

「日本じゃ犬がワンワンって鳴くのは知ってるよね? あのね、聞いて! 韓国じゃ犬は『モンモン』って鳴くんだってよ。あははは、犬がモンモンだよ。おかしくない?」     

夫は笑う私に遠慮したのか、モソッと小声で言った。

「う~ん、私の耳にはワンワンよりも、モンモンの方が実際の犬の鳴き声に近いように思えるんだけどなぁ」

(えっ! ほんまかいなぁ)

「私の耳には、ヴァウヴァウ、ヴーヴーって鳴いているように聞こえるよ」

「えっ!犬が、ヴーヴー? 日本じゃ、それ、豚だよ。じゃあ豚はどう鳴くの?」

「私には『グルンス・グルンス』って聞こえるよ」 

「アハハハ、グルンスグルンスかぁ。おもろい。それじゃあ馬は?」

「ピシーン ピシーンってところかな」

「それって馬のお尻にあてる鞭の音じゃないの? 日本じゃヒヒーンって鳴くよ」

夫は夫で私のヒヒーンの音がおかしかったらしく、目の周りに皺をためて笑っている。

「じゃあ、ニワトリは?」 

「ギュッギュルギューだろうね」 

私は派手に吹き出した。笑いながら「日本じゃニワトリは、コケコッコーって鳴くんだよ」というと、今度は彼の方が体を揺すって笑いころげた。

 

窓に目を移すと、山あいの静かな湖をヨットが気持ちよさそうに進んで行くのが見えた。

我々を乗せたローカル列車も旧式のレールに呼吸を合わせて「ガタン・ゴトン」「ダタン・ダタン」と長閑な音を奏でながら、澄んだ水色の時間の中を走って行く。