青い静寂

朝まだきのこの時間にこの湖畔でバスを降りたのは、私だけだった。

静かな旅がしたかったので各州の子どもたちの夏休みが終わるのを待って9月を選んだのだが、それにしても静かすぎた。真空の中を歩いているような気分にさえなった。

周りを見渡しても人の姿はもちろんのこと、気配すら感じられなかった。

 

しばらく湖岸のベンチに座って青い静寂に身を委ねていると、どこからか一艘の小舟が湖面を滑るように現れた。

飛び跳ねる胸の鼓動を宥めながら、私は息を圧し殺してシャッターを押した。

 

 

 


ソロで旅したあの日から10年近くが過ぎたが、今でもこのクレンターラー湖の記憶の色彩は青いままだ。これから何十年が経っても多分、セピア色にはならないだろう。

 

感動の旅をありがとう。

 

 

 

 (撮影:2014/09/17)

 

トラムの線路で腰を抜かした 2人のおばあちゃん

(2016年10月 中央スイスの高原にて撮影)

ーーーーーーーーーーーーーーー 

これまでの人生で腰を抜かしそうになるほど驚いたことなら何度かある。けれど、腰痛で立ち上がれなくなったことはあっても、実際に腰を抜かして立てなくなった経験はない。そもそも唐突に腰から力が抜けて、ふにゃけてしまうことって本当にあるんだろうか?と、半信半疑のまま深追いはしてこなかった。

ところが見てしまったのだ。90代の前半とおぼしき2人のおばぁちゃんが、こともあろうに同時にトラム(路面電車)の線路上で腰を抜かして、ひしゃげてしまったのである。

 

その日、私は用事があってチューリヒ市まで出かけて行った。無事予定を消化して帰宅の途についていたときのこと。停留所のベンチに腰掛けて下りのトラムを待っていたら、手をつないでゆっくり歩いて来る2人の高齢女性が私の視界に入った。

彼女たちは遊歩道から一方通行の狭い車道に歩を進めて難なくそこを渡り、下りのトラムの線路も手をつないで問題なく横切った。

向こう側の遊歩道まで行き着くには、もう一本の上りのトラムの線路も越えなければいけない。この停留所から向こうにある一つ手前の停留所までは一直線なので、トラムの動向を確認することができる。2人がその上り線の線路に足を踏み入れようとしたとき、トラムは一つ前の停留所をすでに発車してこちらに近づいて来ていた。

私には2人の歩調が、まるでパントマイムでも演じているかのように超スローモーションに見えたのだが、しかし足どりは2人ともしっかりしていた。いくら何でもあのトラムがこの停留所に到着するまでには、彼女たちも線路を渡りきって反対側の遊歩道に辿り着いているだろう。私はそう楽観的にみていたのである。

だがやっぱりトラムはトラムだ。人間の歩調とはぜんぜん違う。あっという間にこちらの停留所の至近キョリまで来てしまった。

運転手も彼女たちの歩調を計算に入れたのだろう、いつでも停止できるようにスピードをギリギリまで落として徐行運転している。徐行スピードではあっても、もちろんトラムは動いている。更に2人に近づいてきた。

すぐそばまで迫って来たとき、もう引き返すことも進むことも出来ないほど気が動転していたのだろう。彼女たちは手を繋いだまま線路の上で固まってしまったのである。

運転手もそこでトラムを静かに停止させた。その瞬間、おばぁちゃんたちやい、早くどかんかい!とでも言わんばかりに、運転手が高らかにトラムの警笛を鳴らしたのだ。耳をつんざくような、けたたましい金属音が空中に跳ね上がった。

それを聞くや否や、固まっていた彼女たちの体が同時に、ふにゃふにゃになって線路にぺったりへたりこんでしまったのだ。トラムから数メートルほど離れていた私ですら心臓に衝撃が走るほどの音響に聞こえた。

近くにいた男性2人が、素早く彼女たちに駆け寄った。一人は痩せた方のおばぁちゃんを抱き上げて、上りの方の停留所のベンチまで連れて行った。だが、もう一人の男性の方は、体格のいい太ったおばぁちゃんだったからか、持ち上げられない。力が抜けると人間の体は重くなるのだろうか?

見かねたトラムの運転手が駆け降りてきた。砲丸投げ選手のように腕も腰もガッシリタイプの彼は、太ったおばあちゃんを抱きかかえるや、難なくベンチまで運んで行った。

私が見たのはここまで。 下りのトラムが来たので、波打つ心臓を抱きかかえるようにして私はそれに乗り込んだのだった。

 

私はどうしても「腰抜け」の正体が知りたくて、帰宅後にググってみた。

【強い興奮、恐怖、極度の緊張で、血管が収縮してしまって、背中の筋肉(脊柱起立筋)をうまく働かすことができなくなることが原因。ほとんどの場合、しばらくすれば治る。】

きっとおばぁちゃんたちの背中の筋肉も恐怖の呪縛から解放されて、また2人で手をつないで家(多分、近くの老人ホーム?)に帰り着くことができたのではないだろうか。

私の暗かった頭の部屋に、ポッとあかりがついたような気がした。♫

 

(2020/10/19 私が住んでいる村の森でウオーキング中に撮影)

撮影場所を惜しみなく譲ってくれた スイスの青年(ラントヴァッサー橋の思い出)

 

 

スイスの「ラントヴァッサー高架橋(註:1)」は世界的に名を馳せる人気の撮影スポットだ。旅好きな私もこの橋が見えて来るたびに、かならずシャッターを押してきた。

けれど、まともな写真が撮れたためしがなかったのだ。旧式の山岳列車だった当時は窓を開けることも出来たので、車窓からの風景を撮るには好都合だったのだが、うまくいかなかった。

問題は山岳を走る列車の揺れだ。タイミングを捉えるのが下手くそだった私は、右に左に揺れながら走る列車に翻弄され続けた。ここぞと息をのんでシャッターを切っても大ボケ小ボケの出来になり、もう一枚!と構えた時には時すでに遅し、列車はたいていトンネルに、もう呑み込まれていた。

乗っている列車からその列車を撮るには最後尾でデジカメを構えるのが常識なのは承知していても、「撮り鉄」未満の私は、よろめきながらそこまで移動する勇気にも気合にも欠けていた。

 

だが、あの日は違った。ラントヴァッサー橋が見えて来る20分ほど前には、勇気が宿っている(であろう)頭の釜戸に火をつけ、そして、心にキリリとハチマキをしめて座席を立った。

列車の揺れにバランスを失って足がもつれることも何度かあったが、それでも勇気の炎と心のハチマキに助けられ、どうにか最後尾の車両を出るドアの前まで辿り着けた。重い手動のドアも難なく開けることができた‥‥まではよかったのだが、ガクッ!

そこにはニコンの一眼を首にかけた先客が、降ろした窓ガラスの上部のふちに両腕を乗せて待機していたのである。鉄道写真マニアとおぼしき若い男性だ。

心の裏側では泣きべそをかきながらも思いっきりフレンドリーな音色で「グリュエッツィー(スイスドイツ語で「こんにちは」)」と声をかけてみた。彼もすぐに爽やかな笑顔で挨拶を返してくれた。そのイントネーションから私には彼がスイス人であることがすぐに分かった。

しかし、いくらなんでも無理だ。旧式の列車は出入り口がこぢんまりしていたので、窓から2人が肩を並べて撮るにはあまりにも狭すぎた。

「すてきな写真が撮れるといいですね」、そう言って私は踵を返そうとした。

「あっ、待ってください。ここで撮っていいですよ」

私に撮影場所を譲ってくれるというのだ。予期せぬ青年のこの申し出に私はドキドキした。

「あなたの優しさに感謝します。有難う! でも、あなただって撮りたくてこの列車に乗ったんでしょ?」

1時間に1本しかないローカル列車だ。「当然、あなたに優先権があります。私は自分の席の窓から撮りますので、ご心配なく」

そう遠慮する私に、彼は尚も譲ろうとする。

「私は地元の人間なんです。だから今回はあなたがこの場所を使っていいですよ」

何て寛大な人だろう。いくら地元の人とはいえ、もし仮に私が彼だったら同じ言葉をかけることができただろうか? いや~、ノーかも知れない。だとすると、私はこの申し出を受けるに値する人間とは言えないんじゃないか? 折角の親切だけど、やっぱり断ろう。私はそう覚悟を決めた‥‥はずだった。ところがそのとき私の口を突いて出たのは真逆のセリフだったのだ。

「有難うございます!それじゃ今回は喜んであなたのご親切をお受けすることにしますね」

これには私自身が意表を突かれてしまった。が、もうモタモタしている時間はない。橋が見えてきた。揺れに負けまいと下腹と両足に思いっきり力を入れる。そして、熱を込め息を止めて私はシャッターを押した。続けてまた押した。

トンネルに入ってから彼にその2枚の写真を見せると、とても喜んでくれた。

「巧く撮れたじゃないですか。よかったですね」

そう言いながら彼は私に笑顔をおくってくれた。

心に夢と希望を持っている若者の笑顔だった。

**************

【註1】「ラントヴァッサー鉄道高架橋(Landwasser Viaduct)」に付いて

レーティッシュ鉄道のアルブラ線とベル二ナ線が通る路線にかかる石灰岩でできた気品のある高架橋。高さは65m。世界一遅い「氷河特急」もこの橋を通る。

この区域には55もの石の橋がかかっているという。その中でもこのラントヴァッサー峡谷の建造は困難を極めたらしい。今から117年前に完成。

スイスの山岳地帯特有の美しい風景も含めて、この区域は2008年にユネスコ世界遺産に登録された。

 

恐る恐る「Pro」にアップ

 

(Walen湖の船出/9月に撮影)

 

hatena-blogサービスの下で私のブログが産声をあげたのは、9月10日のことでした。

ブログを軌道に乗せられるようになるまでには、優に2カ月は掛かるだろうと当初は見積もっていました。超がいくつも付くほどの苦手分野が私にとってはITだからです。不得手意識に首根っこをつかまれて解せないブログ機能の謎解きと睨みっこしていると、麻酔でも打たれたように意識が朦朧としてくるのです(哲学書を読んでいると眠くなる人と同じだと思う)。

ところが、です。実際には3週間ほどで、記事を書き上げ写真を貼り付け公開に至る基本的な作業 andその他までならもう問題のないところまで来たのですから驚きです。意思のある所に道は通じる。(^^; 

などと偉そうなことを言ってますが、実は理解に苦しむ機能はまだまだ山ほどあるのです(長年お世話になっているFC2よりも機能が複雑なように思えるのですが、それだけ選択肢も多いってことかな?)。

さて、その謎解きに挑戦してみるのは時間に余裕のある時にでも少しずつ少しずつということにして、今日の記事に書いておきたいことは次の一点です。

恐る恐る「Pro」にグレードアップしてみました。最大の理由は画像の容量問題です。これからも大きな画像をアップしていくことになると思いますので。

有料のブログサービスに切り替えるのは初めてのことゆえ疑問もいくつかあるのですが、それよりも何よりも今日のところは、アップしたことで何かいいことがありそうな予感がする気持ちの方を優先することにします。(^^;

 

すべての機能の謎解きには3年くらいの年月を要するかも知れませんが、それでも「亀へん、亀へん」の大阪式でブログを愉しんでいこうと思っています。

海賊モードの眼帯を着けた ご近所さんちの三毛ちゃんも、私にこう助言してくれています。

「石の上にも3年ですぞ!」

(2024/09/29撮影 )

こんなに違う 鳴き声や音の表現(夫と私の場合)

ある日、夫と私は旅に出た。

草原と森に囲まれた田舎の無人駅で、我々はローカル列車を待っていた。

そこへ上りの準急列車が緑の風を切って我々の前を通り過ぎて行った。

「あそこを見てごらん」と夫がレールを指さした。「隙間が空いているのが見える? あれは寒暖の伸縮に合うように空けてあるんだけど、そこを列車が通るときに『ダタン・ダタン』って音がするんだよ」 

「へぇ~、ダタン・ダタンかぁ」

私はレールの隙間の話しよりも、彼の列車の擬音に興味が走った。

「日本人は『ガタン・ガタン』とか『ガタン・ゴトン』っていうけどね」 

暫くすると今度は下りの準急列車が通過して行く。私はできるだけ雑念を振り払って音だけに集中してみた。

「ふ~む。言われてみればガタン・ゴトンよりもダタン・ダタンの方が近いような気もしてくるね W」

そうこうしているうちに我々が乗るローカル列車がホームに入ってきた。座席は選り取り見取り。殆ど空席だから貸し切りみたいなもんだ。我々は4人掛けの座席の窓側に向かい合って腰を下ろした。

草原では数羽のカラスが井戸端会議を開いている。

すかさず夫に訊いてみた。

「それじゃカラスはあなたの耳にはどう聞こえるの?」 

「ラーラーラー」 

「日本ではカーカーカーだよ」

「日本のカラスの方が威勢がいいね」と彼は笑う。

 

鳥と言えば、そうそう、思い出した。フィーフィー・バード。

夫が生まれて初めてセミの鳴き声を聞いたのは1982年。二人で夏の京都をそぞろ歩きしているときだった。彼の耳には「フィーフィーフィー」と鳴いているように聞こえたらしい。樹上から聞こえてきたので、てっきり鳥の一種だと思ったという。

それ以来、セミを意味する二人の合言葉は「フィーフィー・バード」ということになった。

夫が生まれ育ったスイスの田舎にも、現在我々が住んでいるチューリヒの村にも(まだ)セミはいない。しかし、温暖化の影響で環境が変わり、今ごろはここの土中にもセミが眠っているような気がする。きっと地上の夢でもみているのだろう。もしそうなら‥‥、悪夢に魘(うな)されてないことを私は祈る。

ゆっくり走るローカル列車の窓からは、これまたゆっくりと草原の小道を行く、デップリしたおじさんと主人に合わせたような体型の白茶の犬が見えた。

「日本じゃ犬がワンワンって鳴くのは知ってるよね? あのね、聞いて! 韓国じゃ犬は『モンモン』って鳴くんだってよ。あははは、犬がモンモンだよ。おかしくない?」     

夫は笑う私に遠慮したのか、モソッと小声で言った。

「う~ん、私の耳にはワンワンよりも、モンモンの方が実際の犬の鳴き声に近いように思えるんだけどなぁ」

(えっ! ほんまかいなぁ)

「私の耳には、ヴァウヴァウ、ヴーヴーって鳴いているように聞こえるよ」

「えっ!犬が、ヴーヴー? 日本じゃ、それ、豚だよ。じゃあ豚はどう鳴くの?」

「私には『グルンス・グルンス』って聞こえるよ」 

「アハハハ、グルンスグルンスかぁ。おもろい。それじゃあ馬は?」

「ピシーン ピシーンってところかな」

「それって馬のお尻にあてる鞭の音じゃないの? 日本じゃヒヒーンって鳴くよ」

夫は夫で私のヒヒーンの音がおかしかったらしく、目の周りに皺をためて笑っている。

「じゃあ、ニワトリは?」 

「ギュッギュルギューだろうね」 

私は派手に吹き出した。笑いながら「日本じゃニワトリは、コケコッコーって鳴くんだよ」というと、今度は彼の方が体を揺すって笑いころげた。

 

窓に目を移すと、山あいの静かな湖をヨットが気持ちよさそうに進んで行くのが見えた。

我々を乗せたローカル列車も旧式のレールに呼吸を合わせて「ガタン・ゴトン」「ダタン・ダタン」と長閑な音を奏でながら、澄んだ水色の時間の中を走って行く。

 

命の優先順位

 

(画像説明)どちらを向いても切り立つ山々に剥き出しの岩壁や氷河の連なり。 こんなにも雄大な自然を前にして2人の高齢女性が、まるで町の公園のベンチにでも座りこみ孫の自慢話や亭主の愚痴でも言い合っているようなミスマッチな光景に出合い、殆ど衝動的にシャッターを押した1枚。2013年夏のソロ・ハイキングの際にSaas-FeeのSpielbodenにて撮影。(画像の質が悪くてごめんなさい。)

ーーーーーーーーーーーー

(本題)『命の優先順位』

1週間前の敬老の日に、ふと思い出した古い動画があった。スウエーデン在住の2人の日本人女性が運営するYouTubeだ。私が惹きつけられるテーマが多いことや、それをピンポン談義する二人の息がよく合っていてとても聞きやすいことなどから、時々お邪魔して視聴させてもらっている。

その中の一つに私がドキッとさせられる話題があった。2020年3月にスウエーデンの社会庁が出した、新型コロナウイルスの患者に対する医療優先順位の「ガイドライン」だ。

彼女たちが日本語に翻訳して下さっていたのを、メモ魔の私はちゃっかり書き留めておいたので、その一部を下に引用させていただくことにする。

********************************* 

医療優先順位

(1)回復の見込みがもっとも高い者が優先的に治療される。

(2)回復の見込みが同じくらいの場合、予想される余命の長い者が優先される。

(3)回復の見込みや余命が同じくらいの場合、基礎疾患の有無が考慮される。

(引用はここまで)

*********************************

心臓に基礎疾患があり余命もそう長くないと覚悟を決めているシニアの私であっても、この優先順位自体には異存はない。日本の医療ガイドラインにも、これと似たような規定があり実行されているであろうことは私にも容易に想像できる。

しかしあったとしても、それはあくまでも暗黙の了解というかたちで、カーテンで覆われた向こう側にある優先順位だ。

 

実は私は、タテマエだらけで場の空気を読み熟(こな)さなければ白い目で見られてしまう日本の社会構造には、うんざりさせられる方が多い人間なのだ。だが、かと言って言い難いことを、ここまであからさまに公にされてしまうと、震度5の揺れに遭遇したような動揺に見舞われ、思わずヨヨヨと身も心もよろけてしまう。

40年余りこちらで暮らしてきて思考の仕方もかなりヨーロッパ化されてきたと思い込んでいたのだが、こういうこちら式の開けっぴろげな「おふれ書き」を読まされてしまうと、やっぱりどこかに居心地の悪さを感じてしまう。

パンデミック中に彼女たちが紹介してくれたあの動画は、私が日本で生まれ育った生粋の日本人であることを、改めて思い知らせてくれる内容だったように思う。

 

勉強になった。



世界を制するのは だれ?

誰の言葉だったか忘れてしまったが、どうも世界はこの通りに動いているような気がする。

【食料の供給をコントロールする者が人々を制する。

エネルギーをコントロールする者が大陸を制する。

そして、お金をコントロールする者が世界を制する】

哀しいことだけど、トドのつまりはオカネということになるらしい。

持てば持つほど強欲に、それにともなって思考の流れも自然に悪魔的になって行く人間の卑しいサガ。

ここ5年ほどは、自分の脳の許容量をはみ出すほどの熱力を動員して、私は世界の怪しい動きに目を走らせてきた。イヤというほど汚物でまみれた金塊の宴も覗かせてもらった。

専門家らが彼らの著書の中でとっくの昔に露わにしてくれていた事柄が、私はこの歳になってようやく見えるようになって来た。我々人間が人間である限り、我々のこの世界から戦争をなくすことなど出来ない相談なんだ‥‥と。

我々大半の庶民はこれまで、一握りの大富豪族や権力志向族の欲するままに洗脳されてきたし、現在進行形の今も洗脳の暴風雨が吹き荒れるその渦中に我々は放り出されている。

 

このとき、私の頭上に声が落ちて来た。

「だから、どうだって言うんだい?」

さらに、落ちて来た。

「あんたはそうやって嘆いてみせたりするけれど、結構たのしそうにブログを書いているじゃないか!」

んっ?

 

私は一度、天にお伺いを立ててみたい。

「一体だれが我々ヒトの脳みそをこんな方向に進化させてきたのでしょうか?」

 

私にマネーのサインを出して見せる、金肉モリモリの闇雲。

天よ、おまえもか! (^^;

(私の村にて、2017年10月にウオーキングの途中で撮影)

 

無賃乗車も可能 スイスの公共交通機関    だが、しかし‥‥。

スイスの鉄道の駅には改札口というものがない。ホームへの出入りは自由だし、そのまま列車に乗り込むことだってできる。

遠距離列車の場合は、発車してしばらくすると車掌が検札に回って来るので無賃乗車は難しいが、通勤列車のような近距離を走る電車、各州の市内を走る路面電車やバスなどであればタダ乗りも可能だ。成功率も高い。検札員が乗り込んでくる回数は決して多くないからだ。

例えば田舎に住む私が、チューリヒ市の中心街に出かける回数は週に1度くらいだが、検札係に出会った過去の回数を平均化すると、3カ月か4カ月に1度あるかないかってところじゃないかな。

うちの村の公共交通機関郵便馬車の時代から引き継がれてきた(と言っても現在は委託らしいが)郵便バスだけだ。今でもスイスの山奥の寒村へはこの郵便バスの運転手が郵便小包を運んで行ったりする。運転手にも受け取る村の局員の顔にも、爽やかな微笑みがこぼれる。スイスの田舎を旅していると、こういう前時代的な長閑な光景に出合って、ホッとさせられることがよくある。

さて、うちの村を走る郵便バスだが、乗車は後ろからでも前からでもOK。運転手から切符を購入する人は前から乗車した方が便利だけれど、乗車券は無視して後ろから乗り込み、そのまま座席につくのもその人の自由である。痛い目に遭うかも知れないというリスクさえ承知していれば。

とはいえ、市内を走る路面電車や市営バスならいざ知らず、うちの方の田舎路線では無賃乗車をやらかす乗客など殆どいない。少なくとも私の記憶にはない。私は殆ど毎日隣町まで食料の買い出しに出かけるのでこの郵便バスを利用することになるのだが、検札係に会う回数は年に2回くらいだ。(^^;

にもかかわらずタダ乗りをする人は殆どいない。これは多分、人口1000人足らずの小さな村という地域性が関係しているのではないかと思う。

それが‥‥である。

あの日、私はいつものように隣り町まで買い物に行くのに午後2時半過ぎのバスに乗った。一日のうちでも一番すいている時間帯だ。乗客は私も含めて、たったの4人‥‥、と思いきや、バスが発車したとたんに一番前に座っていた男性がスクッと立ち上がった。振り返って後方を見ると、もう一人の男性も立ち上がっている。

「グリュエッツィ、ミッタナン!」(スイスドイツ語で「みなさん、こんにちは!」の意味)。スイスの独語圏の公共交通機関でこの挨拶が耳に飛び込んできたら、99%の確率で切符の検札が始まると思って間違いない。検札係はいつも2人で乗り込んで来る。一人は前から、もう一人は後ろから。そう、挟み撃ちなのだ。もう逃げられない。(^^; 

私は、スイス国内の国鉄(連邦鉄道)私鉄を問わず公共交通機関の殆どすべてに通用する1年間有効の定期(GA)を持っているので、検札もいたって簡単だ。検札係が私のカードをピッとIT機器にあててチェックすると、それでおしまい。

ところが、後部座席の方の空気が何やらざわついている。振り向いてみると、乗客が検札係に突っかかっているらしい。南米出身風の若いお兄ちゃんだ。バスの雑音が大きいので彼がぶつぶつ言っている内容までは分からない。が、どうやら検札係にお仕事が入ったようだ。

このお兄ちゃんは村の住人ではなさそう。私には初めて見る顔だ。きっと友だちのアパートにでも遊びに来ていたのだろう。

冷たいようだけど、まっ、自業自得だね。

けど、同情の余地もあるにはある。この辺を走るバスの中で年に2回ほどしか乗り込んでこない検札係に遭遇するのだから、ツキがなかったと言えばなかった。

正規に切符を買っていれば、最寄りの鉄道駅までなら(円に換算して)150円もかからなかっただろうに、罰金は(今日の円換算で)約1万6千859円だ。

イタっ!!!

南米出身風のお兄ちゃんへ。

次に村にいらっしゃる時には、やっぱりタダ乗りはやめようね。

同じタダでも、タダしく乗った方が断然お得だよ。(^_-)-☆

写真は私の住む村の本通りを走って行く郵便バス。2017年11月中旬に撮影。

ブログは ストレスを溶かしてくれる妙薬♬

「おらが村」の森の中を歩いている時の幸せ感は、また格別。心に張り付いているストレスを 澄んだ空気が優しく溶かしてくれているのが肌で感じられるほど気持ちがいい。この森の中でのウオーキングとブログへの書き込みは、私にはストレスに効く最高の妙薬だ。(写真は私のウオーキングコースのひとつ)

**************************************

昔、あるブログ仲間の男性にこう言われたことがある。

「あなたはブログを書いてストレスを発散しているんですか! 羨ましい」

実際、こうしてブログ記事を書いていると、へばり付いていたストレスがいつの間にか消えてしまっているのに気付くことが多々ある。と言っても、何でもいいからブログに書きさえすれば消えていくのかというと、そこまでは甘くない。(^^; 

 

私の趣味の一つにユーモアがある。ブログのユーモア記事も、軽い笑いを誘いながら、どこかで普遍的な意味が伝えられるように意図して書いている(つもり)。これがまた愉しくて、ついつい主婦業もそっちのけで夢中になってしまう。

かと言って夢中になり過ぎて私自身をも笑いの中に放り込んでしまうと、たいていは失敗する。読み手を白けさせてしまうのだ。自分は笑わず読み手にクスッと笑ってもらうには、一歩も二歩も引いて客観的な目で書いて行く必要がある。

これが得意な人って、例えば歌の上手な人や速く走れる人と同じように、遺伝によるものだと私は考えている。私のユーモア好きも母親から譲り受けたものであって、決して私が努力を積んで獲得したものではない。

ただ私の場合はユーモアと言っても、与太話しなどの軽石系に限られている。ブラックユーモアのような重石系は、私の軽い頭からは出てこない。好きなんですけどね、ブラックユーモアも。いずれにしても軽いユーモアの流れでエッセイを書いているとストレスが溶け始めて、それにとって代わって出てくるのがドーパミン。ご存じのように「快感」とも「報酬」とも呼ばれるホルモンだが、私がブログをやめられない理由もここにあるように思う。もしかすると、これも立派な依存症の一種か? (^^;

心の窓を開け放って書くのが好きな私にとっては、誰にも忖度することも誰にも気を遣うこともなく書けるブログは宝物だ。しかも好きなテーマで好きな時間に書けて、更にはそれをこの地球上のあらゆる方向に向けて発信してもらえるのだから、依存症になるのも決して悪い選択肢ではないと思い始めている。

PS:シリアスなテーマに挑戦してみたいという願望も大いにあるのだけれど、しかしこれは、自分自身を奮い立たせるカンフル剤にもなれば、その代償としてストレスを背負いこむリスクにもなり得るので、チキン腰の私にはなかなか次の一歩が踏み出せないでいる。(^^;

 

(思案中の赤毛のアンコ)

「俺、スリだけど、なにか?」

チューリヒの街に出たときに時々立ち寄るカフェがある。

スタッフの一人にスリランカ出身のフレンドリーなお兄ちゃんがいて、彼とはもう顔馴染みだ。私がテーブルに着くや、すぐにコーヒーをもってきてくれる。そんなこんなで、ここは私のお気に入りのカフェになっているのだが、ひとつだけ気に入らないことがある。

 

何度「違うよ!」と彼に念を押しても、久しぶりに立ち寄ると、また同じことを訊いてくるのだ。

「きみは中国人だったよね?」

彼の名誉のためにも書いておきたいのだが、彼はなかなか頭の切れる男なのだ。計算も速いし、記憶力も人並みを超えている。

「違う違う。私は日本人だってばぁ」

そう私が正すたびに「ソーリー、ソーリー、申し訳ない。そうだったよね」と、どうでもいい顔をして詫びるのだった。

 

またカフェーに立ち寄ったある日のこと。

私が椅子に腰を下ろすなり、彼はコーヒーよりも先にボールペンとメモ用紙を持ってきてテーブルに置いた。そして私に柔和な微笑みを向けて言った。

「お願いがあるんだ。私の名前を中国語で書いてくれないかなぁ」

このときは私も、とんがった口調で抗議した。

「あっ、ごめんごめん。そうだったよね。じゃあ日本語で書いてくれる?」

「(ったくう) で、あなたの名前は何ていうの?」

「スリ」

私は吹きだしそうになって、思わず口を押えた。それを見逃さなかった彼は、唇をぐにゃっと曲げて「どうして?」と訊いてきた。意味を知ったら気分を害するだろうなと躊躇しながらも、一方では言ってしまいたい誘惑にかられた。で、後者が勝った。(^^;

「日本語の意味だけど‥‥。でも、気を悪くしないでよね」

そう念をおしておいてから、これこれしかじかなの、と教えてあげた。その瞬間、彼はアゴを天井の方に突き上げて豪快に笑い飛ばしたのだ。で、笑顔を崩さずに、「へえ~、そうなんだぁ」と妙に感心している。傷つけずに済んだようで、私は胸を撫で下ろした。

 

それから10カ月くらいが過ぎて、また立ち寄った。優越感に飢えていた私は、彼のことをからかってみたくてしょうがなかった。

「今でもあなたは、まだ日本語で自分の名前が書けるかな?」

10カ月という月日は、普通なら記憶から抜け落ちるに十分な時間だと私は確信していたのだ。

彼は涼しげな眼を投げて寄こして「あっ、いいよ♪」と言うなり、ボールペンを持ってきて事もなげにスラスラと書きあげたのである。

「ブラボー! すごいね」

私のリクエストに応えてくれた礼儀として、一応そう口には出してみたものの、記憶力が並み外れて悪い私は、心の裏側ではギシギシ歯ぎしりしながら負け犬になって遠吠えするしかなかった。

 

きっと彼は、家族や友達や仲間をつかまえては何度も何度も書いてみせたに違いない。

《見て見て!!! 俺、中国語で自分の名前が書けるんだよ♪》なんて自慢しながらさ。(^^;

 

 

はてなブログに 記事を初投稿

ブログを始めて10年になります。

ITにはトコトン疎いシニアの私が、紆余曲折を繰り返しながらも今日までブログを続けることができたのは、とにかく書くのが好きであること、そして好きだからこそ心地よい気分が味わえるという単純な理由からでした。これが期待以上に大きな力になって私の背中を押し続けてくれたように思います。

これまではブログサービス「FC2」ひと筋できましたが、今年10年の節目を迎えたのを機に、少し手を広げてみたいという欲目が出てきました。

 

軌道に乗るまでにはまだまだ時間がかかりそうですが、書きたい!という熱が湧き出ているのが肌を通して伝わってきますので、きっとうまく行くでしょう。(^^;

 

 

(2021/10/18 撮影)